2010年11月7日日曜日

三条通りの情報発信 開始

三条通を考えよう会は、京都市の歩いて暮らせるまちづくりの一環である「まちなかを歩く日(2010年11月13,14日)」に合わせて、紙媒体のマップ製作および、ブログ形式で三条通り(烏丸〜堀川)の詳細を伝えるブログを開設しました。

なお、MAPの現物は、「まちなかを歩く日」に、11時~16時まで、京町家連携キャンパス「ににぎ」(三条油小路西入る(三条堀川東入る) )にてお配りします。当日は他にも、染め体験(各日先着20名)、のぞきカラクリ体験などのイベントをしております。お気軽にお越しください。

今後の投稿予定内容は、三条通りでのイベント、名所や旧跡。そしてなによりも、歩いて楽しい三条通りの歩き方の紹介を載せていきたいと思います。

ここから、以下のページへ行くことができます。
三条連携マップ&スポット詳細情報リンク集
iPhoneアプリ連携のお知らせ
4つの地区の特徴
昔の三条通写真集
店舗情報リンク

 HOME>インフォメーション

iPhoneアプリ連携のお知らせ

このページに、アプリのURLを紹介する予定です。
13日をお楽しみに!


イベントに間に合いませんでした。すみません!!
こちらからMapのダウンロードを行って、お手持ちの携帯で見てください。

2010年11月5日金曜日

三条連携マップ&スポット詳細情報リンク集

今年度は、京都市の「歩いて暮らせるまちづくり」の、「まちなかを歩く日2010(11月13、14日)」向けに、三条通にて配布するマップと連動しております。

マップは以下のリンク先からも見ることができます。PDF形式です。
もてなし往来 三条マップ(紙版)」
・・・紙のマップと同じ形式です。両面印刷してご利用ください。
もてなし往来 三条マップ(WEB版/地図のみ)」
・・・紙版には入りきらなかった範囲まで入った完全版です。

<各スポットの50音順リンク集>
なお、番号がつけられていないものは、WEB版MAPのみに記載されているスポットです。
あ行
7.青山露地
9.幾世稲荷社(いくよいなりしゃ)
3.板倉氏屋敷跡
15.稲荷神社
14.今尾景年(いまおけいねん)旧宅
5.越後神社(えちごじんじゃ)
12.大西清右衛門美術館(三条釜座跡)
13.織田信雄(おだのぶかつ)邸跡、柳水

か行
30.海北友松(かいほうゆうしょう)邸跡
21.柿本神社跡
27.釜座町町家
19.亀薬師
29.川崎家住宅(紫織庵(しおりあん))
41.菊地芳文(きくちほうぶん)旧宅
木下順庵(きのしたじゅんあん)邸跡
23.京都市道路元標
6.京町家連携キャンパス「ににぎ」
16.空也堂(くうやどう)
32.幸野楳嶺(こうのばいれい)邸跡
26.五色の辻(ごしきのつじ)
25.木島桜谷(このしまおうこく)生家跡
43.小結棚町会所(こゆいだなちょうかいしょ)

さ行
24.左京四条三坊跡
22.三条西殿跡
18.塩川文麟(しおかわぶんりん)邸跡
33.将軍御成門跡(しょうぐんおなりもんあと)
34.新町三井家跡

た行
20.高松殿跡(たかまつどのあと)
笋(たかんな)町会所(孟宗山)
39.田中源太郎旧宅
31.玉蔵稲荷大明神
38.茶屋四郎次郎邸跡
道祖神

な行
10.長尾郁三郎(ながおいくさぶろう)邸跡
36.南蛮寺後(なんばんじあと)
野口家住宅

は行
1.蛟松殿跡(はいまつどのあと)
40.林道春(はやしどうしゅん)邸跡
35.伴市(ばんいち)(伴家住宅)
2.毘沙門堂跡
28.廣野了頓(ひろのりょうとん)邸跡
4.古田織部正(ふるたおりべのかみ)邸跡
17.本能寺跡

ま行
11.皆川泰蔵(みながわたいぞう)邸跡

や行
8.山口華楊(やまぐちかよう)邸跡
44.横山清暉(よこやませいき)邸跡

ら行・わ行
37.煉瓦舗装跡

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4つの地区の特徴

この付近の4つの地区の特徴をまとめました。


[城巽地区]
城巽地区(元学区)の城巽は、築城が400年の二条城(東南)から辰巳(巽)の方角になることから名づけられました。
古くは平安時代、関白藤原基経の大邸宅であり、堀河院(里内裏)藤原良房の京三条院等公家邸宅がありました。また、醍醐天皇の皇子の高松殿、豊臣秀吉の妙顕寺城跡、江戸時代には大老土井利勝屋敷跡(現京都堀川音楽高等学校)や、福井藩邸跡がありました。
明治から大正・昭和10年期には堀川で友禅流しの染処の町として栄え、現代も和装工芸の職住の地域ですが、御池通に高層ビル、マンション/ワンルームマンションが建て替えられ、世帯が増加しています。

[龍池地区]
龍池地区(元学区)は、北は二条通り、南は三条通り、東は烏丸通り、西は新町通りに囲まれた地域です。
江戸後期以後、上京二十五番組小学校が創設された両替町御池あたりは、「御貸地」であり、地名がなく、明治3年に、鎌倉時代に栄えた二条関白の邸「二条殿」にあった「龍躍池」(たつやくいけ)に因んで、龍池町と命名されたことに由来しています。

[本能地区]
本能地区(元学区)は延暦13年、京都に都が遷されてから開けた所で、左京永昌坊に属し、主として貴紳の邸宅に当てられていました。
このあたりの良質な地下水を活用し、京染の生産地として発展してきました。地域には京染をはじめ伝統産業の職人が住まいし、京の暮らしを支えるものづくりや、商いがされてきました。
近年、和装産業の活力低下などにより、地域の経済力が低下し、京染などの工場が無くなった跡地に高層の共同住宅が次々と建設されるなど、町の変化が急激に進みつつあります。

[明倫地区]
明倫地区(元学区)は京都市内の中心部に位置し、平安時代から、特に織物関係の業者が多く、公家等との交流も早く、商業、経済の振興などの文化が栄えました。
「明倫」の名称は、小学校設立当時、その地にあった石門心学の私塾「明倫舎」に因んだものです。
都として、行政面からも安定する必要から社寺の建立があり、また、祭を通じて生活の安定を図りました。
祇園祭では、明倫地区内で現在13の山鉾があり、現在全部で32ケ所の建立地点を有し、民衆の理解が深まり「祇園御霊会」と称しました。かつては将軍家でさえ、行政面での日程など空けた程です。祭の目的は今も疫病退散の願いがあります。

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店舗情報リンク

ただいま調査中です。
来年以降に公開予定ですので、お楽しみに!
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2010年11月4日木曜日

1.蛟松殿(はいまつどの)跡


平安時代の官人で、嵯峨天皇、空海とともに日本の三筆の一人、橘逸勢(たちばなのはやなり)の邸宅跡。
804年、最澄、空海らとともに入唐し、書道を柳宗元に学んだ。邸宅は1177年、大火で消失した。
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2.毘沙門堂跡


蛟松殿跡の西にあり、毘沙門天を本尊とし、後世、多門寺と称した。
また、この小路を「妹之辻子(いもとのずし)」と呼ぶ。
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